2010年カブール訪問報告(ZINDABAD DEMOCRACY 12号より抜粋ー1)

二〇一〇年カブール訪問報告

例年行っているRAWA連のスタディツアーですが、今年はひと味違います。四人のメンバーが大胆にもカブールを訪問いたしました。以下カブール訪問の報告です。
カブール訪問日程

3月3日
K・S・N 日本出発

4日
カブール到着
RAWAメンバー3名が空港に出迎えてくれるムスタファホテルで簡単な打ち合わせをする
以後私たちの案内はマラルさんとなる車は1台。運転はRAWAサポーターのロカイさん(30歳代位の男性)で最後まで同じ人だった。

5日
シタラ1とシタラ2孤児院訪問
H 日本出発

6日
OPAWCの職能訓練所と識字教室を訪問
Hを空港に出迎える

7日
イタリアメンバーとの昼食交流会
シタラ3孤児院訪問

8日
救急病院訪問 国際女性デー集会に参加

9日
ダルラマン宮殿跡見学
国際赤十字リハビリセンター訪問
ガジ・スタジアム見学
パルワンドゥー難民キャンプ訪問
N・Hを空港に送る

10日
RAWAとの話し合い
政治活動団体との交流
N・H、帰国

11日
戦争責任を追及しているNGOを訪問
DVなどの女性の問題に取り組んでいるNGOを訪問
K・Sカブール出発

12日
帰国

《御礼》
今回のアフガニスタン・カブールへのRAWA連の訪問は急遽決定したために、緊急カンパをメーリングリスト等で要請させていただきました。その結果、多くの方からカンパをいただき、二八七八米ドル(約二六万円)をカブールのRAWAに活動支援として渡すことができました。普段のRAWA連の会費や、ヘワド・ハイスクール支援基金とは別の緊急カンパ要請にもかかわらず、このようなカンパ金を寄せていただきましたことに感謝いたします。ありがとうございました。

〜〜 まず、カブールに行くきっかけからご紹介します 〜〜

カブール訪問のきっかけと意義と

一、アフガニスタンの現状

オバマ政権はイラク撤退を決めました。泥沼と化したイラクの現状を変えるには、もはや米軍の存在は百害あって一利なしということが、遅まきながらもわかったのでしょう。これでイラク社会がすぐに安定するとは思われませんし、むしろ一時的には治安が悪化することも予想されます。そうであっても、米軍駐留に起因する爆破事件などが恒久化するよりはずっとマシでしょうから、イラクの人のためには歓迎すべき政治決定だと思います。

一方、アフガニスタンに対しては増派だということです。安定しない国内情勢、悪化する一途の治安は、少し前のイラクと変わりません。カルザイ氏は、アフガニスタン大統領というよりはカブール市長くらいの実権しか握っていませんし、国民の信頼もありません。より大きな利権を得ようと、虎視眈々と機会をうかがうタリバンや軍閥勢力との対立もあって、カルザイ政権には親米化以外の選択肢がないようです。アフガニスタン人に命をねらわれ、米海兵隊に命をまもってもらうカルザイ氏とは、いったい何者なのでしょう。米国の傀儡政権化する背景を、きちんと理解しておかねばなりません。

そんな対立がありながら、カルザイ政権、タリバン、軍閥勢力には奇妙な共通点があります。〈原理主義〉です。男女の不平等、厳しい戒律、イスラム法、排外主義…。イスラムと聞くと、私たちはそのようなネガティブな印象を持ちますが、イスラム研究者によると、本来のイスラム教にはもっと寛容な側面があるそうです。四角四面のイスラム像は、私たちが知らずに作り上げてきたステレオタイプ、あるいは巧みに誘導されて行き着いた幻だったのかもしれません。原理主義は一部であってイスラム教だって近代化しています。トルコをはじめ、世俗国家は枚挙にいとまがありませんし、イラクだってフセイン政権下ではそうでした。就学・就労を認められた女性たちが大勢、社会に進出していたのです。それを破壊したのが米国による無法な〈侵略戦争〉でした。

アフガニスタンにおける原理主義は、カルザイ政権と、カルザイ政権と対立するタリバンや軍閥勢力の双方に見られると述べました。また、アフガニスタンに駐留する米軍も国際治安支援部隊(ISAF)も、原理主義それ自体を問題にはしていません。

それゆえ、誰が政権の担い手になろうと、あるいは呉越同舟を試みようと、それは安定と平和を実現するための共闘などではなく、利益再分配のための野合にしかなりえないでしょう。イラクでもアフガニスタンでも、原理主義の台頭を許したのは米国であり、支援した日本にも結果責任
があるのは明白です。

そのような現実の中で、アフガニスタンの人々は苦しんできました。そしてそれは、現在進行形でもあります。この現実を変えるために奮闘している人々がいないわけではありません。その先頭に立つのが〈アフガニスタン女性革命協会・RAWA〉です。RAWAがどのような活動をしているかは、今さらここで述べる必要もないでしょうが、原理主義とは相容れない関係にあることだけは押さえておきたいと思います。女性が男性と等しい尊厳を手に入れるためには、男性の庇護下から自立しなければなりません。生活のためにはお金が必要ですから、労働の対価としての収入を得ることが不可欠です。それを気付かせるものとして、教育の役割も大きいでしょう。当たり前のことを認識するための教育は、むしろ男性の側に必要なことではありますが。そして、それらはことごとく原理主義とは対立するのです。

二、スタディツアーの断念

RAWAはアフガニスタン国内だけでなく、難民となってパキスタンに脱出した同胞のための活動にも力を入れています。学校、孤児院、かつては手術室を備えた病院もありましたが、資金難のために医療関係は撤退してしまいました。誰も好きこのんで病気やケガをするわけではありませんが、難民という立場上、対応してくれる医療機関が制限されるのは本当に困りものです。

私たち〈RAWAと連帯する会〉は、パキスタンの首都イスラマバードからほど近く、ラワルピンディにあるヘワド高校の支援を中心に活動してきました。資金調達の困難さもさることながら、難民に対する偏見、テロとのかかわりを疑心暗鬼する人たち、あるいはテロの標的にされて自分たちが巻き添えを食うのではないかという近隣住民の心配もあって、学校は何度も移転を余儀なくされてきました。経済が行きづまり、社会に暗雲が垂れこめるとき、不安に起因する攻撃の矛先は一番弱いもの、もっとも優先して守られなければならないものへと向かいます。日本にいる私たちにさえ、身近な事件を思い起こすことさえできれば、そのことがわかるのではないでしょうか。

アフガニスタンまで脚を伸ばしてRAWAの活動を間近に見るのは無理としても、せめてパキスタンは訪問したい。ヘワド高校の生徒たちがどうしているか、孤児院の子どもたちは元気か、難民キャンプの人々の思いは…。自分たちの目で、現地で、確かめたい。そんな思いでスタディツアーをおこなってきました。詳しくはZINDABADのバックナンバーを読み返してください。

そのツアーが、どうにもままならなくなってきたのです。パキスタン国内の治安の悪化。かつてカイバル峠を越えたアフガニスタンとの国境の町まで行けたものが、ペシャワルまでとなり、前回はラワルピンディがやっとの状態。外国人である私たちにとって、自由に行動できる範囲は行くたびに狭められてきました。冷房の効いたティールームでくつろいだイスラマバード・マリオット・ホテルも、二〇〇八年九月の爆破事件で三〇〇人以上の死傷者を出しました。米国資本というのも理由のひとつでしょうが、首都がこのありさまでは、ツアーへの参加を呼びかけるのも不安です。RAWAの活動を知ってもらいたいという思いはありますが、こうした支援は息長く続けなければならないものですから、そのためにも安全を無視するわけにはいきません。

三、それならアフガニスタンへ

恒例だったパキスタンへのスタディツアー、今年度は実施しないことに決定したものの、何もしなくて良いのか。人間のつながりは、インターネットやメールだけでは成り立ちませんし、お金だけ送ればすむというものでもありません。いちばん大切なことは現場にしかない。それを自分で確認することの重要性を、市民活動をする者たちはいやというほど思い知らされてきました。そもそも新聞やテレビは、アフガニスタンで起きていることをどれほど伝えているでしょうか。

大衆が喜びそうなニュースを選び、それを面白可笑しく流すだけの大手マスメディア。権力にすり寄った媒体の提供する情報は、たとえ部分的には事実であったとしても、巧みな取捨選択によって、結果として虚偽になる場合があります。私たちは、それを見せられているのです。〈RAWAと連帯する会〉の報告は、又聞きでも受け売りでもない、伝聞情報とは違った何かを支援者のみなさんに提供する責任があると考えています。

パキスタンに行っても、できることは限られている。いや、限られすぎている。それならいっそのこと、アフガニスタンに行ってしまったらどうか。以前誘われたことのある国
際女性デー。今年も3月8日に式典を予定しているのだろうか。行動の制約はどこにでもあるのだし、このような情勢の地域に足を踏み入れた経験のある少人数なら大丈夫かもしれない。まずはRAWAの予定と受け入れが可能かどうかを確かめてみよう。そんな「乗り」でした。

休暇を取りにくいこの国で、春休みでもGWでもない時期に行ける人は限られています。しかも経験者に限定した少数精鋭。まともな勤め人など、まず参加できないと思いきや、慎重で状況判断力に秀でたH、英語に強いN、押しの強いK、悪運の強いSの四名が名乗りをあげました。行ってみたいという誘惑にかられただけかもしれませんが、それぞれの強みを組み合わせた、かなり強力な布陣でカブールに向けて出発することになったのです。

四、陸路でなく空から

アフガニスタンといっても、今回は首都カブールだけの訪問です。日数の制約もあるので、関西国際空港からドバイ経由の空路をとることになりました。中東方面へは、私たちが利用するエミレーツ航空やカタール航空など、成田空港ではなく関空を玄関口にする航空会社が多いようです。もっとも、今回は利用できなかったものの、エミレーツが3月末から成田に就航するほか、アラブ首長国連邦国営のエティハド航空がアブダビに飛ぶなど、日本と中東をむすぶ路線は、ますます充実してきました。羽田空港への国際線乗り入れが進むと、この方面へのアクセスがさらに容易になることが期待されます。
米軍による空爆被害調査に入った7年前、調査団はパキスタンから陸路でアフガニスタンに入りました。機窓の眺めもなかなかのものですが、カイバル峠を越え、国境のトルハムで入国手続きをし、ジャララバードの町を抜け、マイパーの山道を越えてたどり着くカブール。地面に近いところから見る景色には格別のものがあります。人に近い、人の生活に近い…、大地に近いとは、そういうことなのでしょう。人間への視線の欠如。近代戦の航空攻撃は、まさにこの視線の欠如があってこそ成り立ち得たのだと思います。
ジャララバードからカブールへの道路状況は、ずいぶんと改善されたようです。所要時間も、かつての半分から三分の一に短縮されたとのこと。一方、原理主義のヘクマティアル派が支配的な地域を通過しなければならないこと、最近ではタリバンを名乗る活動も頻発していることも事実。また、パキスタンのカイバル・パクトゥンクァ州(旧北西辺境州)は、民族的にはパシュトゥーンの勢力圏ですから、パキスタン・タリバン運動の拠点になりつつあります。アフガニスタンに駐留する米軍は国境を越え、空からこの地域に攻撃をくり返しています。それが生み出すさらなる憎悪。パキスタンのアフガニスタン化、いや、パキスタンが泥沼化する一歩手前であり、泥沼の拡大だけが米国の世界戦略と誤ったグローバリゼーションの成果かもしれません。

日数の制約もありましたが、スタディツアーでお世話になった日パ旅行社が、このルートに賛成しないことは明らかでした。国境までの送迎を、ごり押ししてまで依頼するか。私たちの答えは「否」でした。もう少し状況が改善されたら、今のところは期待薄なのですが、そのとき改めて陸路カブールを目指したい。そんな思いを胸にいだいた私たちを乗せ、ドバイ行きエミレーツ三一七便は23時20分、関空の滑走路を蹴って夜空へ飛び立ったのです。
(S)

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